- 2025年8月「ユタに生きる〈下巻〉」発行
- 2024年10月10日「ユタに生きる〈上巻〉」発行
- 2024年5月「国立民族学博物館友の会」の機関誌『季刊民族学』に掲載されました。
- 2024年03月13日 発売 円聖修の神唄CD
- 2023/11/4 名古屋イベント出演
- 2022/9 第二弾「占いコンテンツ」
- 2020/7 第一弾「占いコンテンツ」
- 2020/12/25 権威あるユタ研究書の中に取り上げて頂きました。
- 2020年1月24日「サラ久保ちゃんねる」に出演
- 2017年12月6日「奄美新聞」に掲載されました。
- 2017年10月10日 初出版「奄美三少年・ユタへの道」
- 2017年11月7日 奄美TV 出演
- 2017年10月3日 奄美ラジオ トーク番組出演
- 2016年11月14日 おがみな祭(奄美初スーパームーンイベント)
- 2013年11月30日付 「中外日報」 宗教・文化の新聞
- 2012年07月09日『占い大研究』PHP出版 《学校図書館向け》
- 2012年3月7日「南海日日新聞」奄美地元新聞
- 2012年 『講演会』 第二回クバヌユ・プロジェクト主催
- 2011年 「爆笑問題の大変よく出来ました!」 テレビ東京
- 2010年 「夏休みの怪談」実話霊能者特集・宙あおぞら出版
- 2010年 『講演会』第一回クバヌユ・プロジェクト主催
- 2009年 レインボー タウン エフエム 放送局
- 2008年『MITANA vol.3』 出版社:実業乃日本社
- 2007年『MITANA vol.2』 出版社:メディアボーイ
- 2007年『MITANA vol.1』出版社:メディアボーイ
- 2007年 フリーペーパー『bourgeon』
- 2003年 きょらじま <奄美の自然を考える会> ユタ儀式の取材
- 2001年『東京一週間』(第三回)
- 2001年『東京一週間』(第二回)
- 2001年『東京一週間』(第一回)
- 2001年『Cawaii』
- 2000年『開運占い師名鑑』
- 1999年『日経流通新聞』
- 1999年『Tokyo占い情報通』
- 1997年『東京占いWalking』
- 1995年鹿取洋子レポーターのインタビュー他、新聞三種
- 1994年「anan」取材
- 1992年「anan」取材コメント
- 24歳 占い師メディアデビュー
2025年8月「ユタに生きる〈下巻〉」発行

より良い人生を生きるために
ユタとは、奄美群島、沖縄諸島のシャーマン。
目に見えない神霊を我が身に依り憑かせるユタは、病気の悩みに対処する神秘的な方法を教示することで、人々の心のよりどころになってきた。
本書は、17歳での神がかり体験を経て、28歳でユタとなった著者が、40年間のユタとしての人生で学んだこと、スピリチュアルを探求する人たちに残したいことを語る。
■内容(目次より)第一章 ユタの道を生きて
第二章 セッション記録
第三章 不思議な話
第四章 ヒーリング
第五章 潜在意識へのアプローチ
40年間のユタとしての人生を語る
2024年10月10日「ユタに生きる〈上巻〉」発行

ユタとして見た 神秘的な世界
ユタとは、奄美群島、沖縄諸島のシャーマン。 目に見えない神霊を我が身に依り憑かせるユタは、病気の悩みに対処する神秘的な方法を教示することで、人々の心のよりどころになってきた。 本書は、17歳での神がかり体験を経て、28歳でユタとなった著者が、40年間で出会った不可思議な体験を語る。
■内容(目次より)第一章 島からの旅立ち
第二章 成巫過程
第三章 愉快なユタ仲間と聖地巡り
第四章 琉球列島ユタの調査の旅
第五章 ユタたちの神さわりと神がかりの調査
第六章 ユタの定義
第七章 奄美民俗信仰の形態
第八章 活動拠点の変化
40年間に起きた数々の出来事
2024年5月「国立民族学博物館友の会」の機関誌『季刊民族学』に掲載されました。



モンゴルシャーマンからの指示を受けて、研究者と共に私を訪ねて来た女性を民族学研究者が追っかけレポートした内容です。
研究者の目で捉えた私のセッションの様子がかかれています。
『季刊民族学』は「国立民族学博物館友の会」の機関誌です。
民族学で権威ある機関紙に全6ページで私の記事が紹介されています。
モンゴルシャーマンからの指示を受けて、研究者と共に私を訪ねて来た女性を民族学研究者が追っかけレポートした内容です。
研究者の目で捉えた私のセッションの様子がかかれています。
『季刊民族学』は「国立民族学博物館友の会」の機関誌です。https://www.senri-f.or.jp/category/journal/
2024年03月13日 発売 円聖修の神唄CD

円聖修と、あの、『あなたの聴かない世界』の著書で著名な持田保氏によるライナーノーツ付き!
tunaguレーベルの意向で、限定販売!再発無し!
円聖修とノイズアーティスト進入禁止のtunaguレーベルの意向で、CDの売上の極一部にはなりますが奄美大島の環境整備系募金に寄附させて頂きます。
格式高い邦楽ジャーナルにも取り上げて頂きました。


2023/11/4 名古屋イベント出演




2022/9 第二弾「占いコンテンツ」

2020/7 第一弾「占いコンテンツ」

2020/12/25 権威あるユタ研究書の中に取り上げて頂きました。


アカデミア叢書
ユタの境界を生きる人々
現代沖縄のシャーマニズムを再考する
刊行年月日:2020/12/25
ISBN:978-4-422-23042-9
定価:3,740円(税込)
判型:A5判 217mm × 154mm
造本:上製
頁数:226頁
[著]平井 芽阿里(ヒライ メアリ)
2020年1月24日「サラ久保ちゃんねる」に出演
幽霊騒動アパートのお祓いに行って来ました。
2017年12月6日「奄美新聞」に掲載されました。

奄美新聞に本の紹介をして頂きました。
2017年10月10日 初出版「奄美三少年・ユタへの道」

私が手がける別館サイトの「ユタへの道」に一部(現在は見れません)書いていました私の少年時代のお話がいよいよ本になりました。
この発行日に関する不思議な出来事がありました。
出版社から届けられた原稿の最終チェックを終え、最後のページに印刷されていた発行日を見て「ドキッ」としました。なんと10月10日と書いてあるではありませんか!この日は、私のユタとしての誕生日なのです。
ユタになるための儀式「神つなぎ(成巫式)」をして晴れて正式なユタ神様になった日です。この儀式は人間界と決別し、天の神様と盃を交わして生き神として生きていくという神様との結婚式のような儀式です。
私はこの世に初めて書き残せるこの本を「10月10日」に出したいという思いがありました。タイミングをみて出版社様にお願いをしようと考えていたという経緯がありましたので、とても驚いたのです。
担当者様にこの事を伝えましたら、同じく驚いていました。神様がそのように導いたとしか考えられません。
365(日)分の1の確率です。
ユタへの道を歩んで現在で34年となり、改めてこう思います。
「神の道は人間が好き勝手に修行をして力を貰えるものではない、神様の望みに気がついて、心を研ぎ澄まし、本気で求める人に神は道を開いてくれる」
神への道に躓いている方がいましたら是非この言葉を思い出してください。
2017年11月7日 奄美TV 出演

奄美テレビに出演しました。
2017年11月7日20時(1時間)
番組名:シマ・トーク~ユタ神様編~

ユタ神様の存在は奄美の人にとってはひそやかな存在。
知っているようで、深く知る人は少ない。
それは昔からの恐れからか、敬意からか、、、。
司会者からの鋭く突っ込んだ質問に周りのスタッフもハラハラする中、軽快に答えてゆく、そんな奄美初の現役ユタ自身が公共の場で答えるという歴史的番組である。
2017年10月3日 奄美ラジオ トーク番組出演

奄美ラジオ・ディウェイブで本の宣伝をしてきました。
2016年11月14日 おがみな祭(奄美初スーパームーンイベント)

奄美で初めて公共の場でユタがヒーリングをした歴史的イベント

2016年11月14日20時
おがみな祭最終日、無事終えました。
全国的に雨が多かった中、天気予報も何のその、天候にも恵まれ気温も暖かく最高の日でした。
奄美大島に沢山ポスターが貼られた事もあり、スタッフの予想を超える沢山の方々にご参加頂きました。

私のブログを見てちゃんと白い服を来て下さる方々もいらっしゃいまして、とても嬉しい限りでした。
歴史的にも奄美ユタとしては初めて奄美の公共の場での神唄と神の技(ヒーリング)でした。

68年ぶりのスーパームーンの日に、奄美大島の中心地名瀬市を見下ろずおがみ山”の頂上でこの事が実現したという事は新しい霊性時代の幕開けです。
神と人がとても近くなったというサインかも知れません。

私はこれからの時代に向けて、どんどんと新しい事にチャレンジして行きたいと思ってます。

皆様もどうぞ自然と同化し、山の声、海の声をゆっくり聞く時間を持って下さい。
そして、今この時代に生かされている事は、必ず何かお役目があるはずです。

お一人お一人がそれに目覚める事が出来ますように、お祈りしております。
2013年11月30日付 「中外日報」 宗教・文化の新聞

時流ワイド 21世紀もシャーマン健在

死者の遺言を聞く生き神様・ユタ円聖修氏
白衣(しろぎん)を着て先輩ユタの前で儀式を行う円さん
鹿児島県奄美大島出身のユタ、円聖修さん(47)は東京で占い師として活躍する。ユタとして神の助言を借りながら占いをしたこともあったが、風土の異なる東京では奄美のように神の言葉をそのまま受け入れられる人ばかりではない。求める人には神の声を伝えるという、ゆったりした構えで伝統を守っている。
ユタのことを、島民は「ユタ神様」と言う。”生き神様”であり、祈祷やお祓いをしてもらったり、神様の声を引き継いでくれる存在だ。死後四十九日に死者の最後の言葉を聞く「マブリワーシ」では、ユタの力が大きく発揮される。霊が活動する夕方、薄暗い部屋でユタはススキを手に持ち、歌を歌って死者をおろす。円さんも祖父が亡くなった時に呼んでもらった。「憑依こそしなかったが、ユタの話を聞くと近くまで来ていることは間違いなかった」。その体験は印象深く残った。
円さんに「神ざわり」があったのは、高校2年の時。急に意識がもうろうとして、名前を呼ばれても体が思うように動かなくなった。それまでユタについての知識はほとんどなく、祖母にユタの所に連れて行かれて、「神様につつかれた」のだと教えられた。
まだ若かったのでユタになるのを待ってもらうよう神様に頼み、東京に出て占い師となった。10年を過ごし、正式な儀式を経てユタになったのは28歳。「師匠をはじめみんな高齢だったから、自分がユタの将来を背負っていくという意気込みがあった」と振り返る。それから数年後、奄美の島々を回って調査したところ、すでに徳之島や与論島にユタはいなかった。
奄美で現在、職業にしているユタは20人くらいとみられる。今もユタが多い沖縄本島とは事情が異なる。沖縄のユタは先祖供養のお礼で生活を成り立たせているが、奄美にはそうした習慣がない。また生き神様だから人助けをして当然と思う若い人が多くなり、収入を得にくいのが実情だ。
東京ではタロット占いを中心にして、ユタの活動とは分けている。カウンセリングの要素を含む占いと、はっきりした答えが出る口寄せを同列には扱うことはできないからだ。例えば恋愛相談を受けたとき、見通しが暗くても占いなら相談に乗れるが、短い神の言葉はダメとはっきり伝える。「奄美ではそういうものとみんな分かっているが、東京ではオブラートに包まざるを得ない」
高齢化の進んだ奄美のユタだが、近年職業としていこうという人が出てき始めた。従来は決してしなかった料金表示をすることで、収入確保を図っている。もともと神ざわりを経験した人は珍しくなく、収入が安定すればユタを職業とする人も増え伝統継承につながるはずだ。「死者が言い残したことを聞くマブリワーシの伝統は続けていってほしい」と願う。
2012年07月09日『占い大研究』PHP出版 《学校図書館向け》

卑弥呼から現代のシャーマンへ 円聖修~海の儀式

2012年3月7日「南海日日新聞」奄美地元新聞

現役ユタが体験語る―東京でシンポジウム

シンポジウム「海と川―奄美のユタの聖地をめぐって」(クバァユ・プロジェクト主催、末岡三穂子代表)が3日、東京・文京シビックホールであった。現役ユタ(民間霊媒師)の円聖修さん(龍郷町出身、東京在住)と特別ゲストの金城光茜(こうせい)さん(奄美市在住)が神秘体験を生々しく語った。ユタの聖地を訪れた同プロジェクトメンバーが「自然と共生する奄美の魅力」を報告した。
同プロジェクトは、奄美の伝統的な知恵を探求し、伝えていこうと2008年に設立。
メンバーは元民俗文化研究所所員の末岡三穂子さん、奄美音楽情報の管理人・大橋ミノルさん、鈴木みどりさんの3人。
同シンポジウムの開催に当たって、末岡代表と大橋さんは「なぜいまもユタが自然に生まれ続けているのか。奄美の何が私たちを魅了するのか。私たちはこれからどういうふうに生きていけばいいのか。皆さんと一緒に考えたい」と話した。
シンポジウムで円さんはコメンテーターとして、ユタになる過程を振り返るとともに神秘体験を語った。奄美のユタは自分だけの聖地を海と川(アムィゴ)に持つ。円さんは、なかなか見つからなかった川の聖地を探し当てた時の様子と霊の喜びをリアティーに語り、参加者の耳目を集めた。また、神秘的なカミの唄をチヂン(太鼓)を片手に実演した。
奄美から上京した金城さんは霊媒できるユタの一人。霊媒に欠かせないススキを持参し、神祭りルポや霊媒の様子と霊媒をする意義などを話した。
同プロジェクトの大橋さんが、昨年10月に円さんと共に訪れた「聖地めぐり」を映像などを通して報告。海と川のエネルギーの違いや奄美のパワースポットについて述べた。 最後にユタの体験などについて、聴講者と質疑が交わされた。
2012年 『講演会』 第二回クバヌユ・プロジェクト主催

シンポジュウム
海と川―奄美のユタの聖地をめぐって
シンポジウム「海と川―奄美のユタの聖地をめぐって」
発表者:大橋ミノル(クバァユ・プロジェクト)
コメンテーター・カミ唄:円 聖修(奄美ユタ・東京在住)
奄美ではユタと呼ばれるシャーマンが今も活動を続けています。人々は何かあると気軽にユタのもとへ出かけて相談します。ユタは奄美の文化と生活のなかに深く根ざした存在です。
奄美のユタは、ユタとなる過程で海と川に自分だけの二つの聖地を持つようになります。特に川はアミゴ(アムィゴ)と呼ばれ、神聖な場所となります。海と川(アムィゴ)という、ユタにとっての活力の源泉とも思える二つの聖地はいったいどのような性格のものなのなのでしょうか。
今回は前回に引き続き、現役ユタの円聖修氏をお迎えします。発表者の大橋は昨年10月に円氏とともに実際に聖地を訪れ、神祭りの様子も見学してきました。映像を通してその雰囲気だけでもお伝えできればと思います。また、今回も円氏によるカミ唄を実際にお聴きいただきます。
なぜ今もユタが自然に生まれ続けているのか、奄美の何が私たちを魅了するのか、そしてこれから私たちはどんなふうに生きていけばいいのか、皆さんと一緒に考えたいと思います。
日時:平成24年3月3日(土)
午後2時~4時頃(午後1時半開場)
会場:文京シビックホール 地下1階 練習室1
所在地:〒112-0003 東京都文京区春日1-16-21
当日問い合わせ:03-5803-1100 (公財)文京アカデミー施設管理係
最寄駅:東京メトロ丸ノ内線・南北線 後楽園駅>【直結】
都営地下鉄三田線・大江戸線 春日駅(文京シビックセンター前)
>文京シビックセンター連絡通路【直結】
JR中央・総武線水道橋駅>【徒歩約10分】
会費:1,000円(当日受付できませんので事前にお振込みください)
申し込み:<受け付け終了いたしました>
seichi_amami@kunebu.nobushi.jp
定員:30名(定員に達し次第締め切ります)
主催:クバァユ・プロジェクト URL: http://kubanuyu.yachabo.net/
(奄美の伝統的な智恵を探求し、伝えていくプロジェクトです)
2011年 「爆笑問題の大変よく出来ました!」 テレビ東京

TV出演いたしました。
2010年 「夏休みの怪談」実話霊能者特集・宙あおぞら出版

有名・著名霊能者の恐怖の心霊体験! 霊能者ヒストリー
*円聖修の体験が漫画になりました。
2010年 『講演会』第一回クバヌユ・プロジェクト主催

「ユタの世界~現役ユタが語る~」
28歳で伝統的な古代儀式を経てユタの仲間入りをし、他のユタ達と共に民族伝統文化の保存に努める円聖修氏をお迎えして、ユタの知られざる世界についてお話を伺います。
ユタの精神世界を通して私たちの心の在処(ありか)を探っていきたいと思います。質疑応答の時間も十分に用意いたしますので、皆様の積極的な参加をお待ちしています。
話:円 聖修さん(東京在住)
内容:
1)ユタとは何か
2)ユタへの道~私の体験から~
きっかけ
聖地探し
成巫式
3)神祭り
一五九(いごく)の神祭り
今井大権現祭
4)ユタの戒律
5)神道具・衣裳・カミウタ
6)ユタとしての私~東京でユタでいること~
*質疑応答随時
*会場は音を出せないため、終了後に懇親会を設け、そこでカミウタを実際に唄っていただく予定です(会費は会計時にワリカンです)。
日時:2010年7月18日(日) 午後13: 30~17:00
場所:勤労福祉会館(東京都豊島区西池袋2-37-4 電話 03-3980-3131) 4階第4会議室
費用:1人1,000円
募集定員:25名(先着順・お早めにお申し込みください。懇親会参加の有無もお知らせください
申し込み先:クバヌユ・プロジェクト <yutanosekai@kunebu.nobushi.jp>
あるいは直接末岡・大橋・鈴木まで
<参加募集は締め切りました。多数のお申し込みありがとうございました。>
2009年 レインボー タウン エフエム 放送局

今日の「シンクロ+(プラス)」ぬ~でんあまみコーナーは、ユタの円聖修さんにお越しいただきました。
東京で、円鑑定室を主宰されています。

今日の「シンクロ+(プラス)」ぬ~でんあまみコーナーは、ユタの円聖修さんにお越しいただきました。
東京で、円鑑定室を主宰されています。
今日の「シンクロ+(プラス)」ぬ~でんあまみコーナーは、ユタの円聖修さんにお越しいただきました。
東京で、円鑑定室を主宰されています。
毎週水曜日14時~15時は、「シンクロ+(プラス)」です!
周波数 79,2MHz
生放送をインターネット放送で、全国どこででも聞くことができます。
レインボー タウン エフエム 放送局
江東区木場にある 大江戸放送局
14時40分からの、「ぬ~でんあまみ」コーナーでは、毎週、奄美の楽しいゲストをお呼びしています。
ぜひぜひ、聞いてください~!
ユタの円聖修さんにユタ神様、ノロ神様について、詳しく語っていただきました。
一曲目は、牧岡奈美さんの「いそ加那」のCDを。
二曲目は、スタジオで「神唄」を披露していただきました。
放送中、不思議な現象が起こりました。
一つは、聴力検査の時にヘッドフォンから聞こえる「ピーー」音のような音が、番組中ずっと鳴ったり消えたりを繰り返しました。終了後も鳴りやみませんでした。
もう一つは、「神唄」を唄われている間、円さんに促されるまま、目を閉じて聴いていた時の出来事です。
頭の中に、川や喜界島の海が浮かびました。そして、私のマブタというか目玉というか、激しくピクピクけいれんを起こしました。唄が終わるまでけいれんが続きました。
「泣きたかったんですね」と円さん。
そう言われると確かに、そんな気がしてくるから不思議です。
2008年『MITANA vol.3』 出版社:実業乃日本社


オーラ診断 /生霊の話/タロットコーナー3回目




2007年『MITANA vol.2』 出版社:メディアボーイ

インタビュー/ヒストリー(漫画)/スピリチュアルタロットメッセージ(コーナー2回目)


2007年『MITANA vol.1』出版社:メディアボーイ

「円 聖修スピュリチュアルタロットメッセージ」のコーナー1回目



2007年 フリーペーパー『bourgeon』

開運! 円先生のハッピータロット占い


2003年 きょらじま <奄美の自然を考える会> ユタ儀式の取材

奄美・神つなぎの儀式の取材(カメラマン西田テル子)





2001年『東京一週間』(第三回)


第3回 東京都青梅市 埼玉県飯能市 青梅~飯能の山奥にたたずむ廃トンネルには、興味本位の訪問禁止!? 噂 青梅「旧トンネルは殺人事件の舞台。 飯能「Hトンネル」には子連れ主婦と老婆の霊が! 東京西部の多摩地区には、怪奇伝説の残るトンネルが点在。 なかでも、青梅市バイパス横に佇む「旧Fトンネル」は、“昼でも出る”スポットとして、知る人ぞ知る存在だ。 コンクリート製「旧Fトンネル」は街道として現役だが、通行人は日中もゼロに等しい。 「ですが、殺人現場では。雰囲気がそれらしい噂を生んだんでしょう」。 圓 聖修先生の診断は明快。 「Hトンネル」は、「旧Fトンネル」から7Kmほど北上した森にある。 古風なレンガ積みは、15年前まで現役だったとは思えない荒廃ぶり。 ココでは「幼児の手を引いた青白い顔の女」が何度も目撃されているが・・・・・。 「ここに乳児を抱いた女性がいます」。圓先生がトンネル中央部で衝撃発言! “青白い女”の噂は一切、先生にはしてなかっただけに、一同に衝撃が走る。 「親子心中したのでしょう」。 男性に恨みを持つ女性は、近寄らない方がいいとか。 史実 「旧トンネル」脇に新トンネルが完成。 「Hトンネル」は‘87年まで県道として使用されてた 左が青梅市の「旧Fトンネル」、 右が飯能市「Hトンネル」。どちらも閉鎖寸前で、訪問者もまばら。 鑑定結果 2トンネルはここにある「人に危害を加えるような強い霊ではありません」「『旧Hトンネル』では、赤い服を着た女性が子供を抱き、壁から出たり入ったりしてます。 誰かにとり憑くことはありません。トンネル付近には老夫婦の姿も。 これは近所に住んでいた方々のようですね」 新宿駅西口から青梅街道経由で青梅市街へ。 JR東青梅駅から成木街道を北上すると「新Fトンネル」に迫る。 右脇細道の奥に「旧・・・・」が存在。成木街道から小僧木街道を北上、清掃工場が見えたら右手が「Hトンネル」。
取材の舞台裏
朝9:30分に新宿で待ち合わせて、6箇所回り、かなり何処も強力な心霊スポットでした。 途中、私のお守りブレスレットが切れ、そのあとすぐに我々の乗った車がガードレールに、ぶつかる等ハプニングの連続でしたが、なんとか全員生きて帰れた事に胸を撫で下ろすスタッフ達。 実は、殺人現場といわれるトンネル この取材で私は何も感じないと判断し、トンネルを出てもっと先の方が何かありそうですと告げた、その後の報告で、取材者側からトンネルの場所が間違っていたとの報告を受け、やはりその先のもう1つのトンネルだったそうです。 この日は、6箇所を回る予定でしたので、情報のないその先への突入は諦めて次に進んだのであった・・・・。 夜な夜な老婆が目撃される廃墟 ここに向かう前に上に書いたハプニングが発生しました。 現場は、人気のない道路沿いにある土砂に埋もれかかった廃墟。 看板等もなく、学校だったのか?工場だったのか?検討も付かない位の荒れよう。 例の如く私は一切の情報を聞かされている訳でもなく、また私の方からも固定概念が入らぬよう何も話さないようにお願いしていました。 神経を集中してその廃墟を見てみると、病院の待合室のような所が浮かび痴呆症か精神障害を起しているおばあさんが行ったり来たりしている場面が浮かんでくる。 視線を変えると、鉄格子のような病室に入ったおじいさんの姿「みず、みず~」と痩せこけた体で叫んでいる。 上の階の窓の所にも、小学生ぐらいの男の子や中年女性等沢山の残像が見えてくる。 共通している事は、皆、正常ではなく精神障害を起しているように感じたので、取材人に「ここは元精神病棟だったのではないでしょうかと伝えました」 この時点では、取材人も“老婆が目撃される廃墟”としての情報しかなく「なるほど、では後ほど調べてみますね」という事で、調べてみた結果「先生、やっぱり、元精神科病棟でしたよ! ただ当時の資料がほとんど残ってなくて、なにか時代的な陰謀説もありそうですね」。 「ここは色々ありそうなので、今回の記事は見送りましょう」(私もその方が良いと思いました) 「廃墟の病院」 病院の壁に触りそこに残る人の残した思いを探る。 しかし今までのような、人気のようなものを感じない。 (これだけ大きい元病院なら、亡くなった方の思いなど感じるはずなのに・・・・。) 今日の最後の場所だけに私もエネルギー切れかと思いながら取材者に聞いてみた。 『ここは、営業していたんでしょうか?』 「ごめんなさい、まだ詳しい情報は・・・・」 おかしいですね、ここで亡くなった方を感じないという事は短期間しか営業をしていなかったのでは? ただ、大勢の子供の気配を感じます。子供専用に作られた病院か、または、地域柄子供が多いか? 裏へ回ってみる・・・。 そこには、子供用の滑り台などがあった。 結果 取材人が後に調べてみると、立てっぱなしの病院であった事と大規模な小児科病棟だったという事。結果的に私は、噂になるほどの霊はいないと判断したので、これもボツ。 私は霊に対しては、免疫がついているので怖いという事はないのですが、トンネルの取材中に他に誰もいないはずなのに、不自然な足音が聞こえたりして・・・。そのあとスタッフの方々は「明るいうちに何とか全部回りましょう」という声が出るほどの体験になったようです。「雑誌のお仕事も大変だなぁ」と思いつつ取材が終了しました。
2001年『東京一週間』(第二回)


噂 電話ボックスの前からタクシー乗車の女性が消える/トラックがボックスに激突し、女性が即死 交通事故が多発しやすい交差点なんて珍しくも 無いが、武蔵村山市は新青梅街道にあるココ・M交差点だけは特別。過去30年にわたり悲惨な死亡事故が相次ぎ「電話ボックスにトラックが突っ込み、死んだ女性の通話先留守番電話に断 末魔が」「カップルが暴走族にリンチされ惨死」「ここからタクシーに乗った女性は必ず消える」等々、怪エピソードも枚挙に暇がないという。一見、見通しのよい、ありふれた交差点だけど・・・・・ 。 「霊がいますね」。現場到着と同時にサクッとのたまう圓 聖修先生。「北東、北西、南東、南西、すべての角に霊が見えま・・・・」とそのとき、圓先生が激しい発作に襲われ、目には大量の涙 が!「南東角で死んだ方の悲しみが私に伝わったんでしょう」。 鑑定の結果「事故多発は、磁場の影響も大」とのこと。すべてが死霊の仕業ではないらしいが、通行する場合は用心を! 史実 ‘70年代に出会い頭の衝突事故で若い女性が死亡して以来、大小の交通事故が多発している 青年の霊が 北西角には、交差点を見据える霊が。 因縁のボックス なぜか交差点の角に立つ不気味な公衆電話。 死者を供養!? 北東角にある死亡女性供養の地蔵像。 鑑定結果 魔の交差点はココにある 「四つの角に事故死した霊たちが佇んでます」 「北東の角には黄色い帽子の男性、北西はスーツ姿の無表情な男性、南北角の電話ボックスには細身の女性、南西には犬の霊が今も見えます。特に北西角へ立つと、左脇腹にゾクッと寒気を感じます」。 新宿起点の青梅街道をひたすら北西(青梅) 方向に走り、西東京市・北原交差点から新青梅街道へ。東久留米市、小平市、東村山市を抜け、武蔵村山市に入る東京都の北部に位置する。 「ここ10年、死亡事故こそないが、確かにトラブルはしょっちゅうだね」とは所管の東大和警察署。
取材の舞台裏
色々心霊スポットを回りましたが、事情により見送られた内容も少し紹介します。 「廃墟のラブホテル」 ある部屋に首吊り自殺した女性の霊が・・・・。 この場所を探すのはとても苦労しました。なぜなら、すでに跡形もなく平地になっていたのでした。 もちろんその噂の部屋もありませんので、検証することは不可能。で、ボツ!? 「水辺に立つ白い服の美女」 ライターさんの情報で、ある場所の大きな湖に行った。 例の如く私は一切の情報を聞かされていない。 まだ明るい時間だったので、カップルがボートに。そして釣り人がチラホラ。 そんなのどかな場所で、私はカメラを向けられ、白衣を着て歩くのは正直少し恥ずかしかった。 「あっ!! 湖の丁度真中ぐらいに、そう、あのカップルの黄色いボートの左側に白い洋服の女性が水の上にうかんでます」。 カメラマンは慌ててファインダーを構える。 「ちょっとここからでは遠すぎます、もっと近くに行けないでしょうか?」 かなり遠いので、我々は車に乗りそこを目指した。 車を降り山道を草を分け入るように近くにたどり着いた。 「あっ!! 直そこにいます」 カメラマンは決定的瞬間を取るために必死でシャッターを押す。 「もっと近くに来るように話し掛けてみます」。 その女性は、年齢的には24歳ぐらい色白でお金持ちのお嬢さんというような感じ、 真っ白い少しフリフリのついた“かわいい”フランス人形のような服を着ている。 霊「私の帽子が風で飛ばされちゃったの~」 「私の帽子は何処?」 24歳位の割には子供っぽい仕草や話し方。おそらく精神に異常を引き起こしている様子。 圓「あなたは、もう死んでいるんですよ!その証拠に、こんなに沢山の人がいるのに誰も貴女に気付く人はいないでしょう。」 「わたしが、貴女を行くべき所に案内しますから私の言う事を聞いて下さい!」 一生懸命説得したが、にこにこしながら、首を傾げたり・・・・。 遂には「あっはは」と笑いながら逃げていってしまった! (誰かを待っているように感じました) 私たちは、持ってきた線香を捧げ早く気付き、天に上れるように一心に祈りました。 あとで、ライターさんから「圓先生凄いですね、私が聞いた噂とぴったりでした、“水辺に立つ白い服の美女”逢いたい人と逢えるといいですね」 この場所は、そっと静かにしておきたいという結論にて今回の掲載は見送り。
2001年『東京一週間』(第一回)


01 東京一週間(第一回) 首都圏の「恐怖スポット」を実際に訪れ、背筋も凍る噂の真実を、ユタ・圓 聖修先生と検証する体当たり企画がスタート。 第1回千葉県佐倉市 佐倉城址公園に放置された十三階段は、旧軍の絞首刑台だった!? 噂 戦前、ここで絞首刑にされた下士官や敵軍捕虜の霊が今も出現するため誰も撤去できず。 十三階段、といえば絞首刑・・・・。 「千葉県に昔のままに残る絞首刑台がある」と耳にした取材人が訪れたのは、濃い緑の中にたたずむコンクリートむき出しの階段だった。 高さ約3m、荒れ放題で柵もなく、かな~り異様な光景だ。階段はたしかに13だし、やっぱり・・・・。 「いや、噂のモトになるような悪霊の存在は感じないですね」念入りな検証を終えた圓先生はキッパリ。 「死刑とは無縁でしょう。この階段からはむしろ、天空や祈り、といったイメージが浮かびます・・・・」。 調査の結果、階段は、「飛び降り訓練降下台」という、軍用地時代のジャンプ台(?)だったコトが判明。 にしてもブキミナ存在感は、真昼間に見ても際立つ! 史実 十三階段がある公園は、明治~昭和戦前に、重要な軍の施設が置かれた。 突然、手にシビレが・・・・ 十三階段に行く途中の坂で先生に異変。 坂で射殺された男女の霊が! 丹念に階段を検証する圓先生。 だが、階段から霊気は感じず。 佐倉城址公園の近くには佐倉藩の死刑場「江原刑場」跡も。 鑑定結果 十三階段はココにある 「絞首刑台ではないので恐れる事はありません」「階段のたもとで昔、このように(写真右)祈りを 捧げた老婆の残像が浮かびます。 痛ましい最期を遂げた近親者を追悼しているのでしょう。階段、戦争のモニュメントと感じている 市民なのでは?」 京成上野から京成本線寺急で約70分の京成佐倉下車。駅南口を右折し、成田街道沿いに15分ほど歩けば佐倉城址公園。駐車場 北にある薄暗い階段を下ると、老女自殺伝説のある「姥が池」に出る。池の手前を左折し、芝生広場の奥に進めば「一三階段」が!
追加 取材の舞台裏
昼2時に新宿で待ち合わせて、千葉へ車でGO!心霊スポット3箇所回りました。家路についたのは、夜10時過ぎ。ある時からTV、雑誌で霊能者として扱われる取材を拒否してきましたが、取材者が私の占いのお客さんで、ユタの理解者だったことから、OKしました。 文字数の問題や、もろもろの問題で表現出来なかった事を伝えたいと思います。 まず、噂の十三階段ですが、現場に到着した時は、広い敷地内の片隅、高い木々がそれを隠すように ぽっんと不自然にそれが有り、いかにも噂どおり処刑台というような雰囲気でした。しかし近くによって、触りながら神経を集中させてみても、霊的なエネルギーや、処刑シーン等は何も映らず、 只、残像的なもので、軍隊が訓練でこの台から飛び降りていたような感じを受けたので、それを取材人に伝えました。その後、取材人がいろいろ調査した結果、某軍隊の「飛び降り訓練降下台」として使われていた事が分かったと、報告を受けました。 私も噂とは正反対のことを告げたので、内心はらはらしてましたが、結果を知ってホッとしました。 佐倉藩「死刑場跡地」では、ここでどのような方が処刑されたか感じたモノを絵に描いて説明した所、やはりその後の調査で人物像や時代背景、出来事等、ほとんど類似していて取材人も驚く結果だったとの報告をうけました。 あまりにも悲惨でその地域に関る話なので、詳しい話はここでは公表してよいのか判断できないので、控えます。 「人を食う土地」 駅前なのになぜか、誰も家を建てない野ざらしの土地があり、最後に立っていた病院も関係者の相次ぐ“謎の死”。その病院も土地に食われるように腐敗し消えていった・・・・。 話を聞いただけで、身構えてしまう場所。 でも、行ってみると駅前にあるそんなに広くもない土地で、想像と違う明るく、人の通りの激しい場所で、私も一生懸命霊査してみましたが、ほとんど噂のようなものは感じなかったので、この場所はボツになりました。(ライターさんが学生時代に聞いた噂話!?)
2001年『Cawaii』


2000年『開運占い師名鑑』

霊障のある人は、ごく一部。普段はタロットで。占い師であると同時に、ユタでもある圓聖修さん。ユタとは、琉球列島のシャーマンで、霊的な能力を認められた人だけがなれる、伝統的な神職のこと。「自分の中では、占いと霊的な力は分けて考えているので、最初はあくまで、タロットの占い師として対面します。実際、細かい問題は、タロットのほうが向いているんですよ。霊的な問題を抱えている人は、ごく1部ですから」話をして、霊的な問題を感じたときは、相談のうえで“お祓い”の儀式をする。 霊障が取り除かれると、その人本来の姿にもどることができるのだと言う。「本来の自分と向き合うことで考え方が、がらりと変わる人もいます。精神的にも良くなるし、頭もすっきりします。その感覚を味わうことが大切なんです」通常の占いでは、ビジネスの相談も多い。ある店の経営を立て直したときは、お祓いをし、風水とはまた違った方法で、エネルギ-の循環を見ながら店舗の色や椅子の配置まで決めたのだそうだ。「事業を起こしたい方の相談にのります。僕自身も好きなので、インスピレーンョンがわくんです」
1999年『日経流通新聞』


ビジネス編 世田谷区内で九五年から整体治療院を経営する整体師のEさん(43)。事業が軌道に乗り始めた九七年、治療院の隣室を使って妻がリラクゼーションルームを始めた途端、それまで毎月二百万円あった治療院の売上高が半減した。夫婦関係も最悪の状態となり自由が丘の占師の圓さんの元に駆込む。 タロット占いの末「奥さんの事業をすぐやめたほうが良いでしょう」。これに従ったところ治療院の売り上げが三月にようやく元の水準に回復した。? すっかり占いを信じたEさん。最近は助手の採用にあたって履歴書を圓さんの元に持参。「タロット占いで出た人を採用したところ、とても優秀で助かっている」と占いに一層の信頼を置くようになった.Eさんはこの占師を「経営と人生両方のコンサルタント」と呼ぶ。
結婚編 人材育成会社の営業マンNさん(33)。九五年ごろ「そろそろ結婚しよう」と考え、当時付き合っていた女性にプロポーズすることに。彼女に会う前に長年つき合いのある圓さんに見てもらったところ、「あなたのプロポーズに彼女はNOと答えるでしょう」。それでもプロポーズすると彼女は「今は結婚できない」。 Nさんはその日のうちに彼女と別れ、いまでは別の女性と幸せな家庭を築いている。Nさんにとって圓さんは、「お守り。困った時に思い出し頼れる存在」。
生き方全般編 総合出版社の企画マネジヤー、Fさん(35)。鹿児島出身で「今でも九州男児でありたい」と公言するFさんが圓さんにはまったのは九七年末。不況が長期化の様相を見せ始め、Fさんの会社でも給与体系見直しなど無言の圧力が強まった。「これからどう会社生活を送ればいいのか」と漠然とした不安を抱えて圓さんの元へ。圓さんは「あなたは人づきあいがうまい方ではない。あいさつを忘れずに、人に対する思いやりを大切に」とアドバイス。 「親や周囲からいつも言われている内容と同じだが、圓さんの言葉だけはすんなり聞ける」とFさん。今では毎月定期的に圓さんの元を訪れ、「心のメンテナンス」 (Fさん)をする。
人生コンサルタント、心のメンテ、困った時のお守り……そこまで言われたら、と手相さえ見せたことのない“占い初心者”の記者(31、新婚ホヤホヤ、もうすぐ父親に)が試しに、タロットで運勢を占ってもらった。 占師は整体師のEさんが全幅の信頼を置く圓聖修さん。 まず小さな紙に生年月日、年齢、血液型などのほか、相談したい内容を記入。記者は仕事、人間関係、家族関係にマルを付けた。 テープル越しに圓さんと向き合い座る。圓さんが七十八枚のタロットをかき交ぜ、一つの山に積み上げて三つに分ける。記者が指さしたカードから圓さんは、テープルの中央に一枚を置きその周りを囲んで十数枚のカードを置く。「ウーンッ」とうなる圓さん。緊張する一瞬。 圓さん「この中央は修行僧のカードです。あなたは今、仕事で大きな転換期にあり課題を抱えていませんか」 記者「えっ!(実は三月に職場が異動。新しい仕事に慣れるのに苦戦中)」 圓さん「ただ、(修行僧の)顔は平静としており、背後からはオーラが出ています。この苦労はいずれ報われます」 記者「ホッ……」 圓さん「あなたは対人開係は普通ですが、周囲の第一印象はとてもいいです。最高のカードが出ています。金運も悪くないです」 記者「(いいぞいいぞ、次は何だ)」 圓さん「奥さんはお嬢さまですね。ただ、少々金遣いが荒くないですか」 記者「(何でわかる?)図星です……」 圓さん「お子さんはやんちゃな男の子です。二年後、二男が生まれます。さらに、三年後、また子供に恵まれます」 記者「(そ、そんなにたくさん)……」 その他のとても公表できないやりとりも含め、時間にして約二十分。料金は三千円。「意外にあたっている!」というのが率直な印象だ。「仕事上の苦労は必ず報われる」という圓さんの言葉を支えに仕事に励もう。
1999年『Tokyo占い情報通』


圓 聖修 (B型 双子座 七赤金星) 占いの方法 :運命の赤い糸占い+夕ロット占い 相談内容で多いもの:結婚の相性・健康・事業 占い師になったキッカケは? 本職は沖縄・奄美地域の琉球列島に古代から受け継がれてい るシャーマンですが、現実で日常的な人生相談にお 答えするには夕ロット占いの方が的確、より具 体的なアドバイスが出来る事を知り、占いを取り入れるように至る 占い師という職業は?:調停者 午年の人へアドバイス 午年生まれ キーワードは、時・時勢を観る。本質に午 年生まれの人は陽気で快活、多弁に茶目っ気ぶりを発揮して笑いをとる道化師 的なキャラクター。しかし、時に暗闇で独り静かに時代の流れをじっと見 る事で、誰もが見えないもの・画期的な発想・意外な着眼点からアツと云わせ るものを発見。瞬く間に時の人となる。ヒット商品を編み出す可能性は大 尚、元々相性の良い未年生まれの人と縁あり。協力しあう事。6月、明運 願い事叶うチャンスあり、即決即断で対処。7月・12月は暗雲期。突然の波 乱・困難に見舞われる。しかし備えあれば憂いなし 自己PR:運命の人・最良の人と 共に天国への階段を昇る赤い糸の人を探すべく考案した「赤い糸占い」。 あなたも自分の運命の人を見つけに来てください。
1997年『東京占いWalking』


よく当たると評判の人気占い師 1997『東京占いWalking』 17歳の時に、突然自分にしかわからない光や声に悩まされ「神に選ばれた」と鑑定される。その時は納得できなかったが、今は自分の使命を十分理解した。 本来は琉球でユタの業を成す身の上。しかし今は、神様の許す限り東京で鑑定を続けていくつもりだという。 ユタとしては浄霊・病気平癒、占い師としては恋愛・結婚問題が得意。
1995年鹿取洋子レポーターのインタビュー他、新聞三種

ヒーリングについてのインタビューを受けました。
鹿取 先生はユタが専門だそうですが、独特の気功をされているとか…。 圓 “月気功”と呼んでいますが、月からの宇宙エネルギー(気)を私を通 して患者さんに発射することで、邪気や身体の悪い部分を冶すものです。 このエネルギーは浄霊パワーもあるので運気を向上させることもできます。 鹿取 病気も治ったりするんですか? 圓 難病や奇病、視力などを回復させることができます。

第3の医学 21世紀をひらく“第3の医学”気功療法。現代医学でもむずか しい成人病などの慢性的疾患やガン、エイズなどの難病には人 間が本来持っている自然治癒力が重要な働きをすると考えられ るようになってきた。 気功研究の権威圓聖修先生の指導により、近眼、乱視が良く なり、糖尿病の血糖値が下がった、肩こり、美容にも効果があ ったと先生も語っていた。病は気からと古代からいわれている が、精神的ストレスがその原因にあることも最近の医学でもわ かってきた。
(受け方)は実に簡単。イスに座り、目を閉じて瞑想音楽と 共に20分間、先生の手から発射される“気”を受けるだけで、さまざま な(効果)を生んでいます。たとえば… 『健康』●視力回復0.6UP、メガネがいらなくなった●動かなかった腰 が動くようになった●血糖値が下った●便秘解消●霊障による足の痛み が治ったetc…。 『運気向上』、『能力開発』等においても注目すべき報告がなされ ているのです料金は1回5000円と手頃です。お気軽に!

1994年「anan」取材



悩みを安心して相談できる。 霊的パワーの持ち主を取材。
日本の南、琉球の出身「琉球地方には、神様や霊の存在 を信じる人が多いし、霊能者も多いんです。 自分自身は、子どもの頃は何も感じなかったんですが」 圓さんが、自分の霊能者としての能力を感じ始めたのは、17歳の時。他人にはわからない音や声を聞いたり、光を見たりするようになった。 「それからは、霊惑の強い友人たちと一緒に、霊感の存在を確かめるために、いろいろなことをしました。一人を霊媒にして霊を呼び出したり。 今考えると、とても危険なことをしていましたね。実際に危ない目にもあいましたが。そして、祖母に連れられて霊能者の もとを訪れ、自分には霊能力があることを確認したんです」 その後は、多くの霊能者に会ったり、宗教を勉強したりした。 「島ではユタといいますが、やはり自分は琉球の神の子なんだとわかりました。瞑想中に神の啓示を受けて、自分の力を多くの人のために役立てなければならないと知ったのです」 霊能者には、そ れぞれ得意分野がある。圓さんの場合は、人に取り憑いている好ましくない霊を取払う除霊が得意。
原因不明の痛みや定期的に調子が悪くなる人は、霊が原因である可能性があります。でもまず医者に行くべきです。最 終的に、医学ではどうしても判断できない時に、霊能者を訪れるほうがいいでしょう。 霊の世界に興味がある人は、何でも霊のせいに しがちですが、それはよくないことです。霊の世界を、信じないのもよくないけれど、のめり込みすぎもダメ。バランスが大切です」 霊に取り憑かれるのは、本人に問題があるケースが多いと、圓さんは言う。落ち込みやすい、すぐその気になりやすい、物事や人の意見に流されやすい人は、霊に憑かれやすい。こういう人は、一度除霊をしても、また取り憑かれて しまう。性格を直し、生活をきちんとする努力が必要になる。 「何でも霊能者に頼るのは間違いです。実生活での気の持ちようや生活態度といった面からも、相談に来られた方にはアドバイスをしてさしあげたいですね。悪い霊に二度と憑かれないようにするまでが、自分の責任だと思っています」
1992年「anan」取材コメント



ユタの圓さんは占いとのベストの付合い方に ついて、次のように話す。 「僕自身、占いと付き合うに当たって、7信じて、3疑え、と思っ ているんです。自分の信じている占い師さんでも70%以上は信じて はいけない。自分を無垢にして、1OO%信じると、自分では何も 決められない人間になってしまう。それどころか、自分で物事を決断 するのが怖い、とまで思えるようになって、ノイローゼになってし まうんだと思います」 30%疑うというのは、最終決定 を下す判断は自分に課せられているからだといってもいい。
24歳 占い師メディアデビュー

原宿の占い店にてタロット占い師としてデビュー。 初めてメデイアに登場した記念の写真

